北島2連覇
北京五輪の競泳100m平泳ぎで、北島選手が2連覇を達成した。彼の泳ぎもすごかったけど、この日の夕刊1面に掲載された写真が秀逸だった。
これは朝日新聞の夕刊1面にどかーんと掲載された写真( asahi.com より)。水しぶきがびしっと止まっていて、連覇と世界新を樹立した瞬間の躍動感がすばらしい。
聞くところによると、これほどの速いシャッターを、水泳のような室内競技で、つまり暗い場所で切れるようになったのは、今回の北京五輪が初めてなのだそうだ。それはまさに、デジカメの高感度化の恩恵であり、これまで見られなかった写真が技術の進歩によって見られるようになったということでもある。
ここで注目すべきなのは、このカメラマンが、たまたまニコンD3のようなカメラを持っていて、たまたまこうした写真が撮れたというのではなく、恐らく、北島選手が世界新を出したら派手なパフォーマンスをするであろうことを予想していて、わざわざ感度を高く設定し、水玉が印象的に写るように絞りをあけ、シャッター速度を速く設定して、この場所から「狙っていた」ということである。
それが偶然でないことは、下の写真を見れば一目瞭然だ。
これは、同じ日の読売新聞夕刊1面に掲載された写真( yomiuri.online より )。つまり、少なくとも2人のカメラマンが、同じ意図で、ほぼ同じ場所から撮影していたのである。
おそらくこの2人は、新しいデバイスの能力を知り、それによってどんな映像が得られるかを考え、そしてそれが最も効果的に表現できる被写体を選び、つまり新聞の1面でどでかく扱える対象の時を狙って、まんまと傑作をものにしたということだ。
これは逆に言うと、新たなツールが手に入ったなら、ただそれを漫然と使っているだけでは(つまり「高感度のノイズが減って楽になったなぁ~」などと考えているだけでは)お話にならなくて、そのデバイスの能力をフルに引き出す「これまで誰もやらなかったような新たな撮影手法」を考え、さらに、最も重要なシーンで撮りきれるように周到な準備をして、実践しなければ、ほかの誰かがそれをやってしまうということである。
これはある意味、とても恐ろしいことだ。
コンピューターやデジタルデバイス、ネットの急激な進化は、それを能動的に使いこなそうとする人間と、そうでない人間の差を如実にしてしまうという現実が、まざまざと目の前に現れた、と、今日の夕刊2紙と他紙を見比べて思った。
自分がやらなければ、ほかの誰かがすぐにそれをやる。そういう時代なのだ。
ここで言いたいのは、新たなブレークスルーを成し遂げられるのは、それを「使いこなせる」人間ではなくて、「使いこなそうとする」人間だということである。
以前、今の小学生は、産まれた瞬間からネットやパソコン、デジカメが身の回りに普通にあって、彼らが10年後に撮る写真は、現在のわれわれが想像もできないような作品なのではないか、と書いた。その時の懸念を、今一度思う。われわれは10年後、彼らのさらに先を進めているだろうか。
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